憂鬱の正体
みなさんこんにちは。
今日は憂鬱感について考えていきたいと思います。
なんでいきなりそんなことを言うかというと、ここ最近ネタロー自身が憂鬱だから。
ネタローはいつも憂鬱なんですがこのところ特にひどい。
ところで、憂鬱とか死にたいとかツイッターではよく聞きますが実際のところどういう憂鬱なのかちゃんと言語化してる人は少ないんじゃないかなあと思いました。漠然とした不安、孤独をひっくるめて「死にてえ」という言葉で一括りに表している気がします。というわけで今日は憂鬱を分解してその正体を探ってみたい。
まず僕の中では憂鬱の下には幾つかの層があって、一番表面に近いところでは
劣等感、閉塞感、孤独感、不安感があります。
さらに深く潜ってみると、劣等感の下には自分に対する自信のなさ、ビクビクオドオドと人の機嫌を伺っている小心さが控えていました。
これは昔からのことで、僕はそういう気質の人間なのでしょうがないといえばしょうがないんですがいつかはなんとかしたい。
次に閉塞感を見ていくと、このまま人生が肯定しないような気持ち、何をやっても失敗してしまいそうな気持ちがあります。何をやっても苦しいままかもしれないし、実際のところ理想にちっとも近づけていていないという現実もある。一生エクセルをカタカタやって通帳眺めてため息ついて、灰色の独身部屋に帰宅する人生が続く気がする。
そういう「もうあなたの人生を変えるチャンスは過ぎてしまいました」感のせいで何をやっても面白くない。
孤独感は単純に友達が少なく、恋人もいないため寂しくて仕方がないという現実があります。今まで孤立してきたツケですね。それにしても孤立していて辛かったのにどうして辛かったことの罰を受けなければならないんでしょう。楽しんでいたならまだしも。
不安感は、、、、なんだろう。なぜ不安なのかわからないけどとりあえず不安。将来嫌なことが起きそうな気がする、漠然と何か苦しい未来が待っている気がする。そんな感じ。
これらと年齢からくる焦燥感が合わさって僕の憂鬱を構成しています。時によて孤独感が強かったり閉塞感が強かったりはしますが基本的にはこの組み合わせでできています。
この憂鬱とどう付き合っていくかが今後の課題になりそうです。
ネタローでした。