聖なるいじめられっ子の冒険

このブログは昔の作家の面白エピソードを主に紹介しようと思っています。よろしく

田舎者、東京を行く

 こんにちは、ネタローです。

 えー遂に上京の日が迫ってまいりました。Xデーが近づくにつれてこれで本当に良かったのか、という思いが強くなります。愛する家族、気にしてくれる友人、のんびりした地元の風景、そういうものを捨ててメガロシティTOKYOへ飛び込んでいくのが本当に自分にとって良いことなのか、という疑問は尽きません。

 

 そもそも僕は東京にものすごく憧れていました。意識し始めたのは中学三年生ぐらいだったのですが、そのきっかけはご存知『涼風』瀬尾公治

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 ネットでは『君のいる町』の方が有名でしたが、この作品でも主人公とヒロインができちゃった結婚して大学の推薦がポシャったり、連綿と築き上げてきた大学とのルートをお釈迦にしたことを後輩に謝罪したところで物語が終わるなど才能の片鱗を見せつけてきます。*1

 

 人気作ですのでいうまでもなく、素晴らしいところもあって、僕にとっては東京描写です。作者の瀬尾公治さんは地方出身なのですが、地方人が直面する東京描写がすごい。右も左もわからず右往左往したり、ローカルネタを笑われたり。

  

 漫画なので主人王がひとり暮らしをしていく中で美人の同級生に看病してもらったりご飯作ってもらったりという定番エピソード満載なのですが、何を隠そう僕もそんな妄想してました。

 

 結局のところ僕が東京に憧れていたのは「知らない土地に行けば何か変わるかもしれない」という思春期にありがちな逃避願望がだったわけで、もはやそんな希望が実現しないとわかっている年齢で何のために東京へ行くのか。

 

 結局のところ地元に居場所がない、ということが一番の理由です。地方のコミュニティで生きていくには特別な才能が必要です。地方では知り合いの知り合いの知り合いの・・・が自分の目の届く場所にたくさんいます。彼らともうまく付き合いつつ自分の交友関係の核となる友人たちを築いていくことになります。

 

 ここで問題になるのが人生のどこかでしくじったり鬱屈する思いを抱え込んでしまった人たちです。

 人生の早い段階で強いコンプレックスを抱え、「どうせ俺なんて」といじけてしまった経験がある人ほど都会へ出ていく可能性が高いように思います。かくいう僕もその一人で、小学校高学年あたりから自分はどうやらリア充的な交友関係は無理だと悟りました。とはいえ、そこまで達観できていたわけではなく、現実ではできないので妄想の中でリア獣的な言動をしたり、道行く同世代の男女混合リア充グループを憎悪の目で見ていました。

 

 そんな思いがあると大学に入ったり社会人になったりしても、どうしても地元のリア充グループの隣で生きていくことができず、リア充から逃げることができないならせめて「しらないリア充に紛れて暮らそう」と東京へ行くのではないでしょうか。地元で大学にしようとすると駅弁大学や県立大学に知り合いが集中するので、嫌な奴に会う可能性が非常に高くなります。それくらいなら多少値が張っても都会の私大に出てきた方が人間関係をリセットできるというわけ。

 

 都会へ出ていく人は多かれ少なかれ地元から排斥されたと感じているのかもしれません。見慣れた町並みや苛立たしくも気心の知れた友人がいても出て行かざるをなかったわけです。なぜならなんとなく居場所がないように感じているから。

 

東京へ行ったらお友達作ってちゃんとメガロライフを楽しみたいですね。

 

ネタローでした。

 

追記:

ここまで書いといてなんですが、実は数週間前に東京へ来てました。状況前に書き始めたのに生来の先延ばし癖のせいでこんなことに。僕の人生を象徴するかのような出来事です。

 

*1:ちなみにそこまでして産んだ娘も続編のヒロインだったはずが早々に事故死します。