聖なるいじめられっ子の冒険:宮沢賢治
はじめまして、ネタろーです。
最近暇なので文豪について調べていたんですが、せっかくなので僕が面白いと思ったことを文章にしようと考えてブログを始めました。
思えばブログを書くのは中学生の時、なんだか無性に現実が辛くてネットで人気者になろうと志したとき以来です。結局初日だけ書いてそれ以降ほったらかしになったのですが、今回は末長く続けたいところ。というか、仮にも学校でまっとうな社会生活を送っていたはずのあの頃からネット上の承認欲求だけは強かったことに今更ながら気付いてしまい、土曜日の夕方なのに軽く憂鬱になってしまいました。
このブログでは文学談義や芸術論など堅苦しいことには触れないで、作家たちの人生や面白エピソードを取り上げたいと思います。
第一回は宮沢賢治。
宮沢賢治は「よだかの星」や「銀河鉄道の夜」などで有名なので好きな方も多いかもしれませんが、その弱者肯定というか「バカにされても善良でいようよ」というメッセージはある種の人間にとっては非常に魅力的です。
かくいう僕も「虔十公園林」や幾つかの詩が本当に好きでして、大学の人文系学部によくいるインテリサブカル気取りだった僕は初めて訪れた神田神保町の書店で「さすがに神田まで来てこのまま帰ったらいかんだろ・・・」と宮沢賢治の詩集を購入し、近くの純喫茶さぼうるでドヤ顔したという黒歴史があります。
ちなみに、その書店さんとは池袋の古本まつりで買った5000円の古書を15円で買い叩かれた因縁があり、今でも若干根に持っています。
僕にとっては思い出深い人なのですが、実は社会的にも最近(と言っても数年前ですが)取り上げられる機会が激増した作家でもあります。2011年3月11日、未曾有の大震災が東北を襲い、賢治の故郷岩手も甚大な被害を受けました。そのとき「雨ニモマケズ」の朗読会が国内外で開かれるなど、震災と復興ムードに疲弊した日本人の心を支えました。以外と現代人に縁浅からぬ人物ですね。
そんな宮沢賢治ですが岩手県花巻町を牛耳る名門宮沢家の分家筋に生まれます。のちに賢治自身が「財閥、社会的被告」と称したように何かと目立つ存在でした。だいぶ後になって、宮沢家の本家分家闘争に巻き込まれて賢治の上司である花巻農学校長が辞職に追い込まれたりしているので正確な表現なんでしょう。
賢治の簡単な年表を記すとこんな感じ。(『作家年表読本 宮沢賢治』 より)
明治29年(1896年)賢治0歳:宮沢政次郎、イチ夫妻の長男として花巻町に誕生。同年陸羽大地震が起甚大な被害が出る。
明治39年(1905年)賢治9歳:のちの創作の原点となる恩師八木英三に出会う。
明治42年(1909年)賢治13歳:旧制岩手県立盛岡中学校入学。寮生活を始める。
大正3年(1914年)賢治18歳:盛岡中学校卒業。入院先の病院で勤務する看護婦に片思いする。
大正4年(1915年)賢治19歳:旧制盛岡高等農林学校に首席入学。
大正10年(1921年)賢治25歳:家出し、上京。これまでに何度も上京していたものの実家の経済的援助なしで生活し、とりつかれたように創作に取り組む。なお妹トシの看病のため夏には実家に戻っている。岩手に戻った後は農学校に勤務する。
大正14年(1925年)賢治29歳:農学校を退職し、農業に生きる決意を固める。
その後鉱山会社などに勤めながら創作を行う
昭和8年(1933年)賢治37歳:死去
ざっくりまとめるとこんな感じですが、他にも妹トシの夭折や法華経への傾倒など結構イベント盛りだくさんの人生です。
- 大富豪宮沢家
では賢治の生まれた宮沢家とはどういう家庭だったのでしょうか。宮沢賢治はの前半生はやたら面白い人生を送っている戦前文人たちの中でもトップクラスに面白いのですが、やはり生家も普通じゃありません。
宮沢政次郎は父喜助から受け継いだ質屋兼古着屋を営んでいましたが、さらに町会議員を4期務めるなど町の有力者であり続けました。また母系宮沢家(同性ですが別系統の同族です。紛らわしいですね)は銀行を経営するなど財閥の名にふさわしい富豪でした。
宮沢政次郎パパ。死ぬほど怖そうですね
宮沢賢治に限らず当時の文人、学者は田舎の豪農、豪商の倅が異様に多いですがそれだけ社会格差が大きかったわけです。
岩手地方は特に小作農がおおく、頻繁に小作争議*1が起きていたわけですが、地主の長男賢治は「まあ言うて地主も大変やし・・・」とすっとぼけたことを言っています。
賢治をはじめ、慈善活動に精を出す人もいるにはいましたが、収入の半分を小作料として持って行かれる農民たちはその程度で善人面されてもな、と心の中で哀しくつぶやいたことでしょう。
- エリートな青春
そんなこんなで賢治は旧制盛岡中学校に入学します。
旧制中学校は本物の金持ちかつ秀才しか入学できない真のエリートたちの世界。『トーマの心臓』に出てくるギムナジウムみたいな場所です。
首尾よく入学してインテリの資格を手に入れた賢治は、左翼思想に触れて裕福な実家に罪悪感を覚え、キリスト教に影響され、文系学生の英雄石川啄木について語り明かし、と明治時代のインテリ学生スターターパックを一通りこなしていきます。
その後は親友保坂嘉内にホモソーシャルな愛を囁いたり、家業を継ぎたくねえと駄々をこねたり、実家にお小遣いの増額を要求したりしながら学生時代を過ごしました。
ところで全般的に女性の自由が制限されていた時代ですが、宮沢家のような上流階級では家督を継がなくてはならない長男とは違い、女性たちは割合自由に進路を決められるという逆転現象が起きることも。
当時の女子教育機関といえば日本女子大学校(ポン女)、津田塾(津田女)、東京女高師(現お茶女)の現代まで続く女子大ビッグ3。
宮沢家は目白台のポン女へ一族の女子を何人も送り込むなど比較的リベラルで、妹トシもあっさり一人暮らしを認めてもらいました。
現代でも女子高生が県外への進学を志して塾や学校を巻き込んだ親子ゲンカの末に、結局県内の中途半端な私大に進学する話をよく聞きますが、平成でもできないことを100年前に平然とやってのけるのがブルジョアのステータスといったところでしょうか。
嫡男である賢治が新任の先生いじめに加担して学年丸ごと寮から追い出されたり、代々浄土真宗の家なのに日蓮宗に傾倒して実の父親の折伏を試みたり苦労の末にようやく県内の盛岡高等農林学校へ行かせてもらえたのとはえらい違いですね。
- 東京の馬鹿野郎と〜🎶
このような、生まれる前から人生が半分決まっているような生活に嫌気がさして東京への憧れを強めていく賢治なわけですが、地方生まれの僕には非常に共感できる面があります。東京へ行けば何かしら変わるでしょ、というほわほわした期待は地方人なら誰でも一度は抱くはず。
もちろん現実は甘くなく、誰も洗ってくれないで部屋に溜まっていくパンツや大都会で自分が気軽に出入りできるコミュニティが一つも存在しない孤独感や、やたら怒りっぽくて怖いもの知らずな満員電車のサラリーマンに跳ね返されて地元が恋しくなるわけです。
賢治も上京するたびに心を折られて岩手に帰ってきますが、25歳の時、ついに家出した挙句親に無断で上京し、すったもんだの末、半年後帰郷に追い込まれました。その際書き溜めた童話を詰め込んだ大トランクひとつを抱えて岩手まで戻りますがこのあたりは「皮トランク」という作品のネタにもなってます。
程度の差はあれ、故郷を捨てる人間は誰しも周りの人たちにイキり散らして都会に出てくるわけで、何も為さず、何者にもなれず虚しく帰郷する辛さは想像するだけで苦しくなります。実際これは本当に辛い。
- メンヘラと、メンヘラと
最愛の妹トシが病死してからは故郷花巻に腰を落ち着け、農民指導と当時流行していた新しい農村の建設に邁進する賢治ですが、やはり周りのメンヘラが放っておきません。ストーカー事件の勃発です。
小学校教員をしていた女性が賢治の家に押しかけ、女房を気取って来客に手料理を振舞うなど、厄介な問題が起きます。賢治の方も最初はまんざらでもなかったらしく、「もし俺に崇高な使命がなかったらお前と結婚してたのにw」などとその場のノリに任せ、適当なことを言ったせいでますます話がこじれ、最終的にハンセン病に罹患したふりをして追い返します。
その後もクロボトケを崇拝する江戸時代以来の隠念仏という浄土系の宗教団に目の敵にされるなど、賢治のトラブル引き寄せ体質は止まりません。というか、弾圧から隠れ潜む邪教徒と戦うなんて、50年前の伝奇小説みたいなエピソード持ってる文豪なんて他にいないんじゃないでしょうか・・・。
- 賢治のお友達。優しい人たちの優しい世界
某巨大掲示板などでは童貞の星としてやたら持ち上げられる宮沢賢治、実際には遊郭に登ったという証言があったり、夜を徹して牧場を歩き回り性欲と戦ったという話があったり詳しいことはよくわかっていません。何れにしても非常に極端であり、その自分自身に対する浮世離れした容赦のなさがネット民の共感を誘うのでしょう。
僕も御多分に洩れず極端な行動に憧れたことがありますがあれは実行に移すと途端に社会からはじき出されてしまいます。
基本的に賢治の周辺は優しいです。
生前ほとんど無名だったので仲良いやつらばかりの名前が伝わっている可能性もありますが、法華経の怒れる獅子状態だった頃でも普通に付き合ってくれた保坂嘉内(のちに疎遠になるものの・・・)や、なんだかんだ言って長男には甘い政次郎お父さんなど賢治の周囲は常に優しい世界で成り立っています。羨ましいですね。
- 終わりに
そんなこんなで宮沢賢治の人生をざっと見てみました。
本当は「虐げられる人間に超俗的な純粋性を見出してどうのこうの」とか「雨ニモマケズみたいな優しくて強い人間になりてえな」みたいな話をしようかと思っていたんですが、長くなるので割愛しました。タイトルにその名残が残っていますね。
あとは昭和農業恐慌のような現実世界がどう影響したか、などもいずれは考えてみたいです。何はともあれせめて10個くらいはポストを続けたいところ。
ところで神田で購入した詩集には「おまえのバスの三連音が」から始まる「告別」という詩が収録されており、夢を追う青年だった僕はこれがいたく好きでした。ハードボイルドないい詩なのでぜひ読んでみてください。
それでは。